二、津久井城山
私の所から車で小一時間も走ると津久井湖がある。子供が小さい頃よく遊びに行った。その津久井湖のすぐ横に小さな山がある。当初は気付かなかったのだが、これが完全な独立山なのである。感じが皆神山とよく似ている。登ってみると一時間ほどで頂上に出る。途中には岩座もある。一時は山城が作られていて、堀の跡が残っている。そしてこの山も皆神山同様山頂が二つある。
これは怪しい…。いったい何なのだ?。疑問がたくさん心の中に湧き上がるのだが、一方で独立山を全てピラミッドと思うのは早計だ、という気持ちもあった。まぁ、近くにも不思議な山がある、程度に思っていた。
昨年(2009年)の夏、自転車に乗りはじめて近所を走り回っていた。開発が続いているので長く住んでいても今まで無かった知らない道がたくさんあるのだ。また、車と違って自転車だと細い所にも入り込んで行けるので思わぬ発見がある。
その日も町田街道と並行の新しい道を走っていた。ちょうど三つ目の信号に当たる付近に小学校があって、その奥にこんもりとした小山が見えた。近づくと、なんと「三つ目山公園」として奇麗に整備されているのだ。さっそく自転車を下りて散策を開始した。
五分もしないで山頂に出る。ベンチがあり、周囲が樹に囲まれていて穏やかな空気が流れている。すぐ下に展望台があるので行ってみて驚いた。真正面に津久井の城山が見えるのだ。この展望台がたまたま橋本市内に向かって作られているのかもしれないが、とにかく初めてこの場所から見た城山は異様に大きく見える。そして、三つ目山と城山がエネルギーラインを作っているのではないか?、とピンときた。
帰宅してパソコンの地図ソフトを広げて線を引いてみると、面白いことが判った。城山と三つ目山を結ぶ線を南大沢まで引っ張ると、例の神社に行き着くのだ。
三、多摩縄文タウン
多摩センターにある埋蔵文化センターに行くと、この周辺から発掘された縄文土器を見ることができる。そのほとんどがいわゆる壺で、年代によって文様が変わっているのが分かる。この辺りは6000年前の縄文大海進の頃は海が入り込んでいたようで、今でも「貝取」という地名がある。もっとも、これは後世、貝塚が発見されたから付いた名前だと思うのだが…。
12000年前〜2000年前、およそ一万年続いた縄文時代は戦争というものがなかった。それは発見された遺物や骨などで推測されている。一般的には人口が少なかったので互いに争うほどの問題がなかったのではないか、といわれているが、本当にそうだろうか?。
アカデミズムの、この時代に関するものを読んでいると、いつも思うことがある。それは学者の視点が自分の常識の範囲から一歩も出ていない、ということだ。この時代は文字がなかったと言われているので、記録に頼ることは出来ない。学問的な意味は、残されたものからどれだけ想像力を広げて真実を探るかにあるのだが、その想像力が乏しいように思うのだ。
一万年の戦争の無い時代、というのは、単に人口密度が少ないとか、未開で交流がなかったから、というものではなく、そこにはなにかしら哲学としての真理があったと考えるべきだろう。
四、呪具としての土偶

先日、日本全国の有名な土偶を集めた国宝土偶展を見に上野の東京美術館に行ってみた。平日にもかかわらずたくさんの人が来ていて驚かされた。縄文土器や土偶のあの異様なデザインはなにかを伝えているように見える。学者の意見もこれらは「呪具」だったのではないか、というものだ。
呪具というとおどろおどろしいが、言わば神様を奉るための道具と考えているようだ。現代で言えば御守りとか神棚などがそれに当たる。つまり、縄文人もなんらかの信仰を持っていたと考えられるのだ。
また、遮光器土偶など、とても人間とは思えないデザインも、わざとそういう形にすることで、自然の中の神を奉っているのではないか、という説もある。
土偶の多くはバラバラに割れた、あるいは割られた状態で見つかっている。そこで、なんらかの用が済んだら壊してしまっていたのではないか、とも考えられている。つまり、人形として、病気の身代わりをさせて、本人が平癒した時点で壊して供養する、という類いの使い方だ。
逆に完全な形で見つかった土偶でも、壊れたところをくっつけているものがある。実は最初からパーツごとに造っていたのではないか、という指摘もあるのだ。
どちらにしても土偶が彼等の生活の中で大きな意味を持っていたのは間違いなさそうだ。そして、神を奉る、という、神との接触が彼等の文化に根付いていたことだけは確かなことだと言えるだろう。
五、城山ピラミッドシステム
さて、三つ目山を中心とするラインをもう一度考えてみたい。仮に城山がピラミッドだとすると、三つ目山は中継地点で、その延長上の神社が当時の縄文村にエネルギーをもたらしていたのだろう。
ちなみに南大沢緑地の小さな神社には、ペトログラフではないがそれらしい岩が奉られている。グーグルアースで調べると、更にその先に現在の蓮生寺公園がある。
ここには神社はないのだが、展望台に不思議な文様のある岩が配置されている。もちろんこれは最近造られたものだが、ひょっとしたらここにもペトログラフの岩があって、そのモニュメントとしてひっそりと造られたのかもしれない。市の公園課の人に聞いても、とても認めるとは思えないが……。そして、ここも当時の縄文村の中心点に当たるのである。
また、三つ目山・城山ラインを反対に伸ばしていくと、丹沢山塊を通って、なんと富士山山頂に行き着くのだ。多くの霊能者によって巨大な霊的エネルギーを発しているといわれている富士山のエネルギーを利用する為に城山ピラミッドが造られ、更に三つ目山に中継点を造り、その線上に神社を配置した完璧なシステムが浮かび上がってくるのである。
縄文の縦穴住居には、中に小石を敷き詰めたものがある。埋蔵文化センターにもあるのだが、床が凸凹で、実際に住むにはスノコでも敷かなくてはならないだろう。中心に丸い穴があって、以前はそこで火を燃やしていたと思われていたのだが、実はそこには棒状の石が立てられていたらしいのだ。つまり、大湯のストーンサークルが住居の中にあったのだと思ってほしい。
私はそこは住居というよりは神社の原形に当たるのではないかと思う。そして、そこから周囲の環境を快適に保つ波動とエネルギーが出ていたのではないだろうか。
これはあくまで私の大胆な空想に過ぎない。不自然な独立山と神社の配置、縄文遺跡との関係から推理してみたもので、現代の常識人からは一笑に伏されるだろう。
六、縄文古代文明とはなにか?
遥かな古代の人々の生活を考える時、現代人である我々の常識を頼りにしているとなにも判らない。我々の常識から考えれば、戦争の無い一万年そのものが超常現象なのだから…。
我々の常識とは現代の科学が下支えしている。「常識的にありえない!、」と断じる根拠は、全て科学的客観性で証明できないから、ということになる。その反面、宗教的秩序としての「神」は受け入れられている。無神論を自認する日本人も幽霊は怖がったりするのだ。
神とはなにか?、と問われれば、我々を包含する、我々とは別に存在する「知性」である、と私は考える。宗教の本質は神の理解であり、神との共存なのだが、その意味を理解している人はほとんどいない。
縄文以前の人々にとって、実は神との共存は常識だったのではないだろうか。そして、それがどのような社会だったのか想像してほしい。ブルトーザーもパワーショベルも無しに巨大なピラミッド山を築いたり、3000m級の山頂に巨石を配置することがどうして彼等に出来たのか、思いを馳せてみてほしい。その想像の一端に古代文明の真実が見えてくるのだと私は思う。
私自身霊能者ではないので、パワーラインの拠点としてのピラミッドや神社に何かが見えるわけではない。どうして怪しいパワースポットを結ぶ直線が出来るのか、不思議でならない。三つ目山、城山、富士山ラインを西に伸ばしていくと、熊野三山の奥宮といわれている玉置神社に行き着く。昨年私はこの秘境の神社に二度もお参りをした。凡人の私には不思議な偶然という以外になんの説明もできないが、そこに神の仕業を感じないではいられない。
縄文人の文化を理解するには、彼等と同様に神と共存しなければならない。神との通信は、より高い波長に肉体と精神の周波数を合わせることだという。具体的には心を広く持って何事も受け入れる楽観的な人間になることらしいが、なかなか難しい注文だ。私自身は少しでも近づけるように努力したいと思っているが……。
こんな話を周囲の知人にしていると、それぞれ怪しい神社だとか遺跡の情報を教えてくれる。実際の縄文のシステムは、もっと精緻で複雑なものだろう。繊細な心で研究を続ければ、いつか驚くような成果を得られるかもしれない……。
2010.3.12