
2007.11.15、追い立てられるような気持ちで両神山に向かった。どういうわけか分からないけど、なんとしても今年中に行かなければならない、という感じに急き立てられて計画を実行することにした。皆神山の研究から日本古代の山岳信仰、そして超古代文明へと関心が流れていく中で、確かに両神山は重要な位置を占めているのだけど、どういう意味を持っているのかさっぱり分からない。夏に甲斐駒ヶ岳に行った時も同じような感じだった。私の中で、甲斐駒ヶ岳と両神山は対になっているのだが、それが何故なのかも分からない。とにかく行ってみなければ分からないし、行ってみても分からないことが多い。強い衝動だけがあるのだ。
十時の出発予定が一時間遅れてしまった。県央道に入って迷ったのだが、名栗村を抜けるのは遠回りだと思って青梅の一つ先で下りて飯能を抜けた。ところがドッコイ、二車線の道路なので前に遅いトラックなんかがいるとこっちもノロノロになってしまう。途中から諦めて覚悟を決めた。
日向大谷に着いたのは二時を少し過ぎていた。下山してきた人達が数人いた。こんな時間に登り始めるのは自殺者かな、という目で見られてしまった。以前にこの山を登ったIZUMO隊長がたいしたことないと言っていたので多寡を括って登り始めた。
両神山荘を右手に登山道に入った。最初は緩やかな気持ちの良い登りである。三十分ほど続くのでいいウォーミングアップである。会所という二股を左に川に向かって下っていく。ここで下山の人と出会った。「今からだと清滝小屋泊まりですね?、」と聞いてきた。「ええ、」と答えると、この先の川の渡り返しのところを詳しく教えてくれた。先だっての倉岳山のこともあるので注意深く聞いた。
薄川沿いにしばらく登ると、次第に坂が急になっていく、三回川を渡るのだが、ちゃんと赤いマークがあるのでそうそう迷うことはないだろう。
地図を見ると、川を過ぎたところからやや急な登りとあるのだが、実際はかなりきつい登りが続く。一本調子の登りが続くのだが、私は倉岳山で鍛えられていたのでなんとか登り続けることができた。あの時の意味はここにあったのか…などと考えていた。
ここまでの道すがら石仏にたくさん出会った。石仏は必ず巨石の下に建てられている。これは巨石信仰と考えてもいいだろう。狭い登山道に迫るように屹立する巨石はどれも一級品で、確かにこれだけの岩が林立しているこの山は山岳信仰のメッカとして昔から修験道の聖地とされているのが納得できる。出来る限り巨石に手を合わせながらの道行きである。
紅葉と巨石に目を奪われつつも、きつい坂道を急いで登り続けた。なにしろ四時までに清滝小屋にたどり着かねばならない。そう思うと休憩などほとんどとることもなかった。弘法の井戸にたどり着いたのがちょうど四時だった。ここまでハードな登りである。前回の山行きがなかったら完全にダウンしているところだが、どうやら体調もよくなんとかもった。しかしもはや限界に近い。ここから清滝小屋まではわずかである。もうひと踏ん張り、と思って先を急いだ。
4:12、ようやく小屋が見えた。かなり急な坂の上に建っている。ガイドブックなどの表現だと、わりとのんびりしたルートの印象だが実際はかなりハードである。そして、小屋は突然現れる。やれやれ、これで苦行から開放されるのだ。
小屋の御主人に声をかけると「なんだよ!、今頃来て!、」と一喝されてしまった。「道が混んでいて予定が遅れてしまいました…。」と言い訳をした。「飯は六時からだよ、」とぶっきら棒に承諾してくれた。
客室は広く、五十人ほど収容できそうである。今夜の客は私を含めて六人。手前に女性三人組、奥に単独の女性と元気なお爺さん、そして私である。私はとりあえず汗で濡れたTシャツを着替えて布団を敷いた。そしてしばらく横になって休んでいた。携帯がかかった。どうやら場所によっては通じるようだ。
布団の中でウトウトしていたらすぐに夕食になった。カレーライスである。入口の薪ストーブを囲んで見知らぬ人達との語らいが始まった。元気なお爺さんは齢70歳を越しているという。すこぶる元気で自転車で全国を走り回った話などしていた。女性三人のハイカーもみんな60歳を過ぎているという、とてもそんな風には見えない。子育ても終わって58歳から登山を始めたという人もいる。日本百名山をほぼ制覇したという。とにかく登ることに夢中だったという話である。もう一人の女性は一人で来たという。年齢は私と同じくらい。なかなか聞き上手で人の話を引き出すのがうまい。みんなカレーをおかわりする。元気なお爺さんはなんと三杯も食べていた。
一段落して、それぞれ持ってきたお酒なぞを呑みだした頃、私は意を決して岩座の話、巨石と古代信仰の話などをした。以外とみんな素直に受け止めてくれた。仙丈ヶ岳の山頂の岩座、甲斐駒ヶ岳、そしてここ、両神山のことなど…。なかには「宗教ですか?、」と質問もうけたが、「いえいえ、これは哲学ですよ。」と答えると不思議な顔をしておりました。
八時も過ぎると消灯になり、私も布団に潜り込んだ。深山の懐に抱かれて、神の霊気に包まれた安堵感をゆっくりと味わいつつ寝入ってしまったようだ。

翌朝は六時に起床。まだ暗い外に出て、トイレ、洗顔などを済ませた。清廉な空気が気持ち好い。朝食を済ませて六時半に出発した。元気なお爺さんは既に出発していた。もう一人の女性もすぐ後から来ていた。三人の女性ハイカーは今日は下山するだけなのだそうだ。
山小屋の裏からジグザグに登っていくのだが、勾配はきつく、スピードは上がらない。じっくり足を進めた。20分ほどで産泰尾根に着いた。視界が開けて、目前に両神山が聳えている。ここで山に向かって手を合わせて御挨拶をした。実に気持ちが好いぞ。
尾根を左にとってしばらく行くと鎖場が出てくる。といってもそう険しいものでもなく、距離も短い。一登りすると両神神社に出る。神社に参拝してここで一服。小屋を出て30分ほどである。
一息ついて神社の裏から山頂に向かった。道はなだらかな尾根歩きである。しかし、所々分かりづらいところがあるのでリボンやテープなどを確認していかないとへんな所に行ってしまう。
30分ほどで山頂の下に出る。鎖を伝って岩を登るといよいよ山頂である。両神山頂も岩である。岩陰から元気なお爺さんが顔を出した。しばらく会話をして、お互いに記念写真のシャッターを押し合ったりした。「それじゃあ、お先に、」と彼が下りていった。一人になって山頂の岩を観察してみた。
この岩はチャートと呼ばれるもので、石英が多く含まれている。また鉄よりも堅い。昔は火打ち石に使われていたそうだ。風化しにくいので急峻な地形を形成することになる。両神山頂のチャートの切れ目がほぼ南北に向かっている。これはエネルギーの制御になんらかの役目を果たしていたのかもしれない。
個人的にこの山に父神を感じていた私は、甲斐駒ヶ岳の時の様にひっそりと岩に抱きついてみた。この瞬間は子供が親に抱かれるような安堵感が全身を包む。しかし、よく考えてみたらエネルギーのコンデンサーのような役目の部分にしがみつくわけで、決して褒められた事ではない。いつもこの後は体調を崩してしまうことが多いので決してしないように、と注意しておきたい。
そうこうしていると女性ハイカーが登ってきた。道を間違えてしまったらしい。しばらく彼女と雑談をしながら山頂からの風景などを楽しんだ。気がつくと足もとはすぐに崖になっている。一歩間違えれば真っ逆様だ。彼女の話だと、かつてベテランの案内人がこの辺りから墜落した亡くなったそうだ。浮かれてばかりはいられない。
周囲の山は残念ながら次第に曇ってきて期待したほど見えなかったが、隣の狩倉山、槍ヶ岳は目の前に迫って見えた。その姿は急峻で同じ岩質だと思われ。ここ一帯になにやら神々しいフィーリングを感じてしまう。

三十分ほど山頂で時間を費やして山を下りることにした。両神神社を過ぎて産泰峠でもう一度両神山を拝んで名残りを惜しんだ。ここまでルートが分かりづらいので同行した女性ハイカーも手を合わせていた。ここからは自分のペースで下るので別々の行動になった。九時に清滝小屋に到着。既に昨日の客は出発していた。預けていた荷物を背負って挨拶をして下り始めた。
急勾配が続くので膝に負担のかからない歩き方でグングン下りていく。それでも太股にかなりの負担がくる。ついつい爪先からおりてしまいそうになる勾配なのだが、それではすぐに膝が痛くなる。急な坂は登りも下りも応えるものだ。
弘法の井戸の辺りで登ってきたハイカーと出会う。かなり疲労困憊している。「小屋はまだですか…。」息も切れ切れに聞いてくる。「後15分くらいですよ。」と言うと顔が明るくなる。昨日必死で登ってきたルートだ、気持ちはよくわかります…。
あちらこちらに点在する巨石に手を合わせながら、その規模と尊厳に息をつく連続である。一時間ほどで川に出て、ようやく楽になる。ここからはのんびり歩いていける。そこで二人のボッカに出会う。かなりバテているようだ。ここでバテてたら後が大変だなぁ…、と思いながら会釈をした。
10時50分、駐車場に着いた。足がパンパンである。ストレッチなどして汗を拭いた。ここから両神村に出て「薬師の湯」で汗を流した。

さて、この日はもう一つ計画があった。以前長野からの帰り、十石峠から秩父を抜けた時になんとも気になる山を発見した。群馬県の神流川沿いに299号線を登り、462号線と分岐する辺りに巨大な石灰岩の山がある。叶山と呼ばれるこの山のある地名は「神ヶ原」という。なんとも妙な符号である。そして、この叶山はなんと両神山の真北にあるのだ。両神山頂の岩の層が南北に切れていることとなんらかの関係があるのだろうか。実に気になるところである。
299号線を下っていくと左側に巨大な変電所が現れる。これほどの規模のものは見たこともないし、こんな山の中に作られているのを見ると違和感を感じてしまう。しかし、山の中だからこそ必要なのだろう。私の考えている古代のエネルギー伝達装置としての岩座と重なるものを感じてしまう。
しばらく行くと右側にもう一つ異様な山塊が見えてくる。これも石灰岩の山、二子山である。そのテラテラとした山肌は周囲の山とは異質な威容を見せていて、ただならぬものを感じさせる。車を降りて散策をすると、二子山登山の人達の宿がある。そこから異様な二つの山の全容が見える。私はなんとなく「ヤバイ」という感じを受けた。なにがヤバイのかは分からないのだが、いたたまれない雰囲気である。
更に進んで、いよいよ叶山に辿り着いた。前回は通り過ぎただけだったのだが、今回はもう少し観察することができた。ここも二子山と同じ岩質のように思われた。ハイビジョンのビデオカメラでずっと山頂を追っていくと、なにか気になるものが目に付いた。それはクレーンの腕の部分である。神流川沿いに回ってみると、秩父セメントの看板が建っている。どうやらこの山を切り崩しているのである。私は直感的に背筋にぞっとするものを感じた。

両神山、叶山、二子山は明らかに人工的に作られた古代のエネルギー伝導装置、神の住む山と言える場所だと思うのだ。特に叶山は両神山の真北に位置し、いわば龍道の要としてなんらかの働きを今でもしていると思われる。それを切り崩してしまっては…、いったいどうなるのだろう。今はまだ山の姿を成しているが、いつか全て取り去ってしまったら、エネルギーのバランスが崩れて大変な事態が起きるのではないだろうか。そんな危惧が頭をよぎった。
地図上で調べてみると、両神山と二子山の関係にも不思議なものが見えてくる。二子山は両神山のほぼ北東に当たり、いわば「艮・鬼門」に当たる。そして二つの山を結んだ線を南西に伸ばしていくと、なんと塩山の塩ノ山辺りに行き当たるのである。これはいったい何を意味しているのだろうか…。考えると頭が混乱してくる。

不思議なものを感じながら、462号線を上って本庄児玉ICから関越に乗って帰ってきたのだが、いや長かったこと…。神ヶ原から秩父を抜ける手もあったのだが、たぶん同じくらいかかったと思う。つまりこの一帯は実に遠いということだ。
この一帯は恐竜の化石も発見されていたりする古い地層の場所である。私の感じではやはり独特の緊張感が漂っている神々しい場所、という気がする。夏の甲斐駒ヶ岳に続いて、どうしても行かなければならない場所と急かされるような気持ちで来たわけだが、その本当の答えを知るのはずっと先なのだと思う。また、私のように神に対して個人的な感情を持つのは本当は甚だしい勘違いなのである。そのことを重々承知の上で、やはり拭い難い感情があって、ついつい甘えてしまったような気もする。しかし放蕩息子の帰宅は一度成されれば許されるのであって、新たな始まりはこれからなのだと思う。感謝の気持ちと共に、いつか漏らされる秘密のことを覚悟しつつ山を後にしたのだった。


