★大山リベンジ登山

左からIZUMO氏、O氏、K氏、GIZUMO

 「登山部」の活動を始めたのが昨年、2002年の10月頃だったと思う。(詳しくはIZUMO氏のページで)最初はちょっとしたハイキングの集まりのつもりだったのだが、IZUMO氏の加入で俄然「登山部」らしくなってしまったのだ。最初は軽く高尾山辺りで足慣らしということだった。高尾山にはいくつかルートがあり、その中でも最もきついルートを登ったのだ。部員は他にK氏とO氏、四人である。K氏は私より二才ほど若いが、既に六才の孫がいる。若くして子供を作ったので、今まで子育てに必死だったという。ようやく二人の子供も片付いて今はやっと自分の好きなことができるようになったという苦労人である。ベンツに乗り、奥さんの十倍以上の服を持っているおしゃれである。山行きでも同じ服装で来たことはない。O氏もすごい人で、ずっとホンダのテストドライバーをしていたという強者なのである。歳は最年長だが、ボーリングなど軽くこなし、運動は一番しているかもしれない。IZUMO氏は年齢は我々より十才近く下なのだが、なかなか話が合う。我々が若いのかIZUMO氏が年寄りなのか、一応その中間にしておこうかな。私から見るといわゆるエンジニアタイプの人で、キチッとした性格。山が好きで、私の理想とする登山家でもある。(絶対なれないから理想なんである)彼がいなかったら私の登山もあり得なかっただろう。蛇足だが「鉄ちゃん」でもある。

 さて、GIZUMOはというと、50才、体重83キロ、全然運動していない、なのである。IZUMO氏はそんな私がどれくらい登れるのかかなり不安だったらしい。そういうわけで高尾山を選んだのだ。登りはヒーヒーいいながらも達成できたのだが、いざ下り始めると、それこそ10メーターも行かないうちに膝の横の靭帯が痛くなってきた。その時は小仏峠から裏高尾に降りたのだが、私はかなり苦戦してしまった。
 初めて体験した膝の痛み。よく山登りをすると「膝が笑う」などと表現される痛みである。こればかりはやった人じゃないと分からないだろうな。それから11月に丹沢の仏果山に登った。その時も同様に膝が痛くて苦労した。IZUMO氏のアドバイスで登山用のストックを購入。かなり膝への負担は軽減したものの、やはり83キロの体重は私の靭帯にはきついのだ。

 2003年2月に三度登山に挑戦。IZUMO氏はちょっと本格的な大山を選択した。K氏、O氏もけっこうな意気込みで参加。GIZUMOは膝にかなりの不安を感じつつ、それでも普段、団地の階段を登り降りして靭帯を鍛えていたので、今度はそんなことないだろうと自らを励ましつつ参加した。行きはケーブルカーで下社(といっても一番上)までいってそこから登り始める。大山は落語にも登場する昔から信仰の山として名高い。秦野から見上げる丹沢の山々の中でも決して低い山ではない。標高1200メートル以上ある立派な山なのである。階段が多く、登りもけっこうきつい。かなり苦労してようやく頂上に辿り着く。まだ膝は大丈夫かと思えた。昼食をとってから今度は別ルートで下山。見晴らし台方向に向かった。2月のことで、暖かい南向き斜面とはいえ、ちょっと日陰に入るとまだかなり雪が残っていた。K氏やO氏は道の脇の熊笹を掴んで必死に降りている。私は底がツルツルの10年近く愛用しているズックだったので踏んばることもできない。結局尻をついてすべり台のように滑り降りるほかなかった。ちょっとお尻が痛いけどけっこう楽ちんではある。雪道を越えるとやはり急な下り坂が続く。案の定膝が痛くなってしまった。

 私としては私なりに必死に歩いたのであるが、けっきょく下りケーブルカーの最終に間に合わず、この痛い膝を引きずりつつなおも下らなければならなくなってしまったのである。K氏もO氏も階段はかなりきつかったと思う。しかし私に比べればまだ楽だっただろうな。泣く泣く下り始めたのだが、どうにも膝が痛くて歩けない。体の向きを反対にして、上を見ながら下ると足が楽なことを発見。それでかなり距離を稼いだ。そういえばO氏も時折上を向いていたな……。ケーブルカーの乗り場辺りまで来ると、それでももう痛くて歩けなくなる。まだ土産物屋を抜けて駐車場まではかなりある。私はついに四つん這いになって、スパイダーマンのように逆に階段を下ることにした。膝への体重の掛かり具合がだいぶ違うのである。商店はほとんど閉まっていたが、まだ開いている店もある。「こんな格好で降りる人は初めて見たね……、」などと呆れられながら通り過ぎた。かなり悔しいッス!。車に辿り着いた時にはもう真っ暗。「遭難の一歩手前ですよ、」IZUMO氏がほっとした顔をしていた。

 この経験がGIZUMOに減量を決意させた。いくら鍛えてもやはり83キロの体重は重たいのである。というわけでカロリーブックを片手にダイエットを始めたのだ。実はGIZUMOは一度40代の直前に大減量をしている。ま、精神的修行もかねてほぼ一ヵ月、断食をしたのである。いちおう水だけは口にしたが、ほとんど食べずに、しかも毎日自転車で走り回ったりしていたのだ。おかげで一ヵ月で10キロほど痩せ、団地の人達の間では「GIZUMO癌説」が囁かれていたらしいのだ。半年ほどその状態をキープしたのだが、まだ食べ盛りだったGIZUMOは調子に乗って毎日とんかつだのカラアゲだの食べまくっていたせいでみるみるリバウンドしてしまったのだ。それからは食欲に負けて太り続け、ついには14キロ太って83キロになってしまったのだ。血圧も上がるし、いいことは何もないんだけど、酒も飲んだしケーキも大好きだったのでよく食ってましたね。

 で、今回は断食などするとよけい体を壊すと思い、食べながら痩せるカロリー計算をすることにしたのであります。一日1200〜1400キロカロリーに押さえようということではじめました。最初のうちはちょっとだけ辛かったけど、その度に膝の痛みを思い出すと乗り越えられましたね。そのうち胃が小さくなって、ちょっと食べると満足するようになってきました。あとは少なくても品目を多くとることを心がけて続けていくと、あれよあれよというまに8キロほどダウン、75キロになりました。現在は73キロ。急激なダイエットはよくないと思い、ペースを落としてます。

 減量してからは三回、高尾山、都民の森、道志の鳥の胸山と登った。膝の調子を恐る恐る確かめたのだが、全く痛まない。やはり体重が一番の原因だったのだ。IZUMO氏はGIZUMOの体質的なものだったら治しようがないと思っていたそうだ。私にもその懸念がなかったわけではないが、たぶん体重を減らせば、という思いが通じたようだ。しかし、GIZUMOにしてみればまだまだ安心できるところまではいっていなかった。あの屈辱の大山を克服して初めて自信が取り戻せるような気がしていたのだ。

 6月のある日、私はK氏に大山に登ってくる、と告げた。皆に迷惑をかけたので今回は単独で登るつもりだったのだ。しかしK氏は「オレも行く。」といった。K氏はGIZUMOに追い抜かれるような気がしたらしい。というわけで今回はGIZUMOとK氏の二人だけで登ることになった。
 K氏のベンツに乗って(車に明るくないので車種が分かりません、二人乗りで自動的に屋根が開くオープンカーなのであります。乗り心地もすこぶる快適です。)大山に向かいます。時間は前回とほぼ同じ昼少し前に登山を開始。いつもならIZUMO氏の脅し文句に急かされながら登るのですが、今回はK氏と二人、休み休み登りました。といってもコースタイムを10分ほどオーバーしただけだからそうサボったわけではありません。K氏は煙草を吸うので、だいたい20分おきに小休止をとった勘定ですね。体重が軽くなったとはいえさすが大山です。やはりきつい。最後の登りは左足が上げられないほどでしたが、一度登っているだけに前回よりは気持ち的に楽に頂上に到着しました。この日は最初曇っていたんですが、頂上からの景色はよく見えました。遠く伊豆半島の先まで見渡せました。富士山は雲で見えなかったけど…。
 さて、いよいよ問題の下りです。GIZUMOは同じ道を下ってもよかったのですが、K氏が前回と同じ見晴らし台経由を選んだのでそちらにしました。ひょっとしたらK氏ももう一度チャレンジしたかったのかな。下りはじめたとき、初老の御夫婦と一緒になりました。K氏は彼等のリュックを見て「相当の熟練者ではないか、」と読んでいました。GIZUMOは彼等と同じペースで行ければいいかな、と多寡をくくっておりました。しかしいざ下り始めると、かなりハイペースで降りていたつもりなんですが、老夫婦はあれよあれよと見えなくなってしまいました。GIZUMOは膝の具合を見つつ、それでも少なくとも前回の倍以上のスピードで歩いていたし、K氏も雪がない分楽だなどといっていたのに…。
 前回はストックを使いつつ降りていたので気が付かなかったのですが、こっちのコースもかなりきつい傾斜が続きます。膝の靭帯はもう全く大丈夫だったんですが、足全体に当然の疲れが出てきました。私としては滑り降りるようなスピードで下り、一時間半ほどで見晴らし台に到着。先ほどの老夫婦がベンチに座って名にやら会話をしております。K氏と顔を見合わせて驚いてしまいました。
 そこから先は遊歩道状態だったと思い、気持ちはだいぶ楽になりました。しかし、この道は前回、ケーブルカーの時間ぎりぎりで慌てて歩いたところだったので、今回も少し急ぎ気分で歩きました。途中の滝など見物しながらあっという間に下社に到着して初めて、GIZUMOは自分を克服したという満足感に浸ったのでありました。ケーブルはまだ二本ありました。ここから歩いて下るのはもう嫌だったのでほっとしました。
 ケーブルカーを降りてから駐車場までの、あの這って歩いた土産物屋の並んだ階段道も今回は普通の歩き方でなんともありませんでした。「オー、やっと普通の人間になれた……。」というのが正直な感想であります。どこかで大山豆腐の田楽を食べたいと思ったのですが、店はほとんど閉まっていて断念。K氏と温泉に行く途中で洒落た喫茶店を発見して、そこで恒例のソフトクリームを食べ、克服感に浸ったのでした。

 大山の恐ろしさは、ケーブルカーの上の終点である下社には車であがる道がない、ということなのであります。そこには茶店やら下社そのものなど建築物がたくさんあるので、きっとどこからか車が来る道があるはずだと思うのですが、実はないのです。たぶんヘリコで運んだのではないか、もしくはケーブルカーで運んだのかもしれません。というわけで、前回、ケーブルカーに間に合わず、私がもう一歩も歩けない状態になっていたら、ヘリコを呼ぶか野宿をするしかなかったのであります。IZUMO氏が「遭難」と言ったのも決して大袈裟ではないのです。
 では、下社の茶店の人達はどうしているのか、といえば、みんな歩いて下まで降りるのであります。這って歩いているGIZUMOを哀れみながら、茶店の人達が「お先にー、」と笑顔で降りていくのを不安な気持ちで見ていたものです。今思えば、あの人たちにとってはこのくらいの階段、なんともないのでありましょう。そして、下社付近は夜になると誰もいなくなってしまうのです。
 さて、ここで大きな疑問がわくのであります。ケーブルカーは一台は必ず下社にいなくてはなりません。最後に登る車両は無人で行くのでしょうか。その疑問をGIZUMOはケーブルカーの職員さんにぶつけてみたのであります。すると職員さんは嬉しそうに「実はですねぇ、」と答えてくれたのでした。実は、だれか一人、下社の駅に泊まるのだそうです。あの、ダーレもいなくなる山の中に。しかも電車は四時半に終わり、実はその後、社員用にもう一往復するのだそうです。それにしても五時には終わり。それから翌朝まで、たった一人で泊まるのであります。IZUMO氏はけっこう興味深そうに想像を膨らましておりました。さすが「鉄ちゃん」ですねえ。

 というわけで、GIZUMOも少しは登山に関して自信が持てるようになったのであります。これからはもう少し長時間のコースに挑戦したいと思うのであります。ご期待くださいませ。それではまた。

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